海野宿<北国街道

中山道は、江戸日本橋から山岳地帯を進んで、京都まで続く街道でした。

途中の追分宿から分かれて、善光寺を通り新潟県高田までを結ぶ
北国往還と呼ばれる街道もありました。

その北国街道の宿場町だった上田市は、昨年の大河ドラマ「真田丸」 の
効果で、多くの観光客が訪れました。
010423.jpg 
北国街道に沿うように流れる千曲川の桜が満開でした▲

上田の手前にある海野宿には、江戸時代の宿場町の面影が残ります☆
「日本の道百選」に選定された、海野宿を歩きました▼
019422.jpg 
いつも上田に行く途中、通り過ぎてしまって、今回初めて取り上げます!

この地で、古代から栄えた海野宗家は、武田氏の侵攻で絶えてしまい、
その名跡を「真田丸」の真田氏が継承したのです。

013423.jpg
この街道は大名の参勤交代、佐渡金山の輸送、善光寺参拝の
善光寺街道として賑わいました。
海野宿・本陣跡の長屋門▼
039423.jpg 
加賀前田藩や越後高田藩などが、この本陣を利用したそうです。

宿場時代の建物の多くは旅籠屋(はたごや)造りで、
出格子(こうし)が、今もよく残されています▼
041423.jpg  
「うだつが上がる」という言葉の語源となった「卯建」が見られます▼

1階の屋根の上に、張り出して付けた袖壁です。
富の蓄積や、家格の高さを示す意味もあったようです。
014424.jpg 
せっかくなので、海野宿資料館▼にも入ってみました。
1790年頃建てられた旅籠の建物で、往時をしのぶ資料が保管されています。
046433.jpg 071433.jpg
明治時代になって、宿場制度がなくなると、蚕の卵を商品とする
蚕種製造が主力産業となりました。

千曲川の風通しの良さが、健康な蚕の産地に適していたのです。
066433.jpg 064433.jpg 
資料館に入ると、土蔵や物置に蚕業に使われた道具や農機具が
残され、養蚕農家の様子がわかります。              
067433.jpg 
養蚕業によって海野宿は潤い、立派な蚕室や鯱瓦のうだつを
のせる屋敷が軒を連ねるようになったのです。
蚕で「うだつがあがった」わけです!
056423.jpg 
伝統的建物以外にも、なつかしの玩具展示館や、蕎麦屋、雑貨店
などもあって、楽しめます☆
038433.jpg 026433.jpg  

スポンサーサイト

デーラボッチが作った山

信州に伝わる巨人伝説の伝承地に行っては、写真を撮ってきました。

巨人の呼び名は様々で、ジブリのアニメ「もののけ姫」では
デイダラボッチという名でした。
他にも、ダイラボッチ・ダイダラ法師・デーラボッチャ等々‥

ここではデーラボッチという名前で、伝説を紹介します。
018407.jpg 
安曇野市三郷の室山(むろやま)頂上には、デーラボッチの展望台があります▲

‥昔々、デーラボッチという大男が、松本の東の山に住んでおりました。
土を背負子にかついで、山を作ったり、ならしたりしていました。

015407.jpg
展望台から眺める東山▲ 

ある日、東山の神様から、「西山から土を運んできて
山を高くしてくれ」と頼まれました。

021409.jpg
デーラボッチは西山の神様が寝ている夜の間、
西山を削っては、何度も運びました。
途中で、夜が明けてしまい、あわてて落とした土が、室山になったとさ▼

025408.jpg  
緑色した室山の上には、ファインビュー室山という宿泊施設があります☆

安曇野市三郷から南に行くと、梓川が流れています。
松本市梓川地区の岩岡には、デーラボッチの火打ち石があります▼
0850409.jpg 
大きな火打石なので、昔の人は、デーラボッチが使ったと想像したのでしょう。

地球上に恐竜がいた頃の、原生動物の死骸が海底に積ってできた
チャートという岩盤の頭が突き出たもののようです。

056409.jpg
横を流れる梓川沿いは、桜の名所で、昨年4月21日の様子▲

梓川から、さらに南の朝日村にもデーラボッチの民話が残っています。
芦之久保という池は、デーラボッチの足跡と言われます。
011409.jpg 
朝日村の西にある鉢盛山は、デーラボッチが作った最後の山で
鉢盛山で暮らしたという昔話も残っています。
2016年4月29日撮影▼
 014409.jpg 
松本に戻って、アルプス公園にもデーラボッチの足跡があります▼
2017年4月10日、桜はまだツボミのアルプス公園に行きました。
左上の「山と自然の博物館」には、デーラボッチのキャラクターがあります☆
003410.jpg 
アルプス公園からは、標高の高い西山が一望できます▼

昔の人は、なだらかな東山と見比べて、どうやって大地ができたのか
思いめぐらしたのが、デーラボッチの民話になったのでしょう。
009411.jpg 
断層などの地形ができた経緯は、最新の地質学によって
科学的に説明できます。
それでも、大自然を前にすると、地球のエネルギーに圧倒されます。
027411.jpg 

岩村田宿を歩いて

今まで今まで行ったことのなかった町も歩いてみようと
旧中山道(なかせんどう)ウォーキングをしました。

江戸時代、中山道は江戸・日本橋から武州、上州、信濃
美濃、近江を経て京都・三条大橋までを結ぶ幹線道路でした。

今回は江戸から22番目の宿場があった信州・岩村田宿を歩きました!
028318.jpg
まず、京都の文化が垣間見られる鼻顔稲荷(はなづらいなり)神社
に立ち寄りました▲
伏見神社から勧進され、清水寺の舞台を思わせる懸崖造りの
本殿が、湯川の岸に建っています。
056319.jpg 
参道には伏見神社ほどの数ではないものの、朱色の鳥居が並んでいます▲
一応、日本5大稲荷の一つだそうです☆
042319.jpg 039319.jpg 
本殿の右手に「御姿殿」があって、巻物をくわえたキツネがお出迎え▲
合格祈願の絵馬や、千羽鶴がかかっていました。
045319.jpg 043320.jpg 
岩村田は佐久地方の城下町として栄え、古くから酒造りが行われてきました。
佐久地方13件の蔵元の地酒が奉納されています▲
053318.jpg 
神社一帯は鼻顔公園になっていて、遊具もあります▲
公園の北には、浅間山が間近に開けています☆

湯川に架かる紅い橋を渡って、西へ歩いて行くと旧中山道に突き当たります。
058340.jpg 059340.jpg 
かつての宿場町は、南北に伸びる岩村田商店街となっています▲

佐久甲州街道分去れの碑が残り、他にも善光寺道、下仁田街道が
分岐する交通の要所でした。

005340.jpg  
商店街から西へ入った所に、旧岩村田藩主の菩提寺だった西念寺があります▲

商店街は、昭和レトロの雰囲気が残り、「いわんだゴールデン街」と
いう横丁があります。
003318.jpg
岩村田駅の隣に、北陸新幹線が乗り入れる「佐久平駅」ができて
商店街の客足が減ってしまったようです。

次に、武田信玄が中興開山したという龍雲寺に寄りました▼
018321.jpg 
北信濃や西上州進出の拠点とした寺です。
信玄の遺骨が発掘されたとのことで、奥に信玄廟があります▼
010321.jpg 014321.jpg 
イオンモールや大型チェーン店が続々と建つ佐久平駅に、賑わいは奪われたものの
岩村田には文化が残り、特に佐久長聖高校など、学問のおひざ元です☆

龍雲寺から東へ歩いて、王城公園に行きました▼
023318.jpg 
周囲からも目立つケヤキの巨木を拝んで、岩村田を後にしました‥

光城山~長峰山コース

安曇野を展望する「光城山~長峰山コース」を、2月の終わりに歩きました。

車で直接、長峰山山頂近くまで行く道路は、4月まで冬季通行止めのため
光城山(ひかるじょうやま)の駐車場からスタート!

傾斜が急な登りを急いだため、結構息切れして冷たい空気を肺にいれ
ながら山頂にたどり着きました▼
015303.jpg
登山道は、所々雪や氷が残っていて要注意。
青空の下、北アルプスの素晴らしい眺望▼
016303.jpg 
この季節は、視界を遮る木の葉が少なく、空気が澄んでいるため
抜群の視界が広がります!
008304.jpg 
北へ連なる爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳・白馬岳は、白く冠雪して
スキーに行きたくなります☆

今回は、さらに長峰山に向かいます。
019304.jpg 
天平の森という施設を過ぎて、さらに登れば長峰山山頂!
久しぶりに来たら、モニュメントがきれいに塗装されていました▼
029304.jpg 
冬季通行止めの時期に来たのは初めてで、斜面には雪が残っています▼

昭和45年に、作家の川端康成・井上靖、画家の東山魁夷が訪れています。
022304.jpg 
東山魁夷は長峰山からの風景について語っています。
「上高地から流れ出る梓川が高瀬川と合流し、犀川となって北へ流れる
平野の上に高く連なる北アルプスの山々‥

030304.jpg
‥常念 東天井 燕と長峰山の上で案内人の指し示す残雪の嶺々を
仰ぎながら、飽かず眺めたひとときが忘れられない」

028304.jpg 
文中にある川の合流地点は水が豊かな地で、毎年、白鳥がやってきます。

2月の後半には、北帰してしまうのですが、長峰山を下山した後
様子を見に、白鳥飛来地に寄りました▼
032304.jpg 
3月の卒業シーズンになりました。
ある卒業文集を読んだら、いい言葉が書いてありました。
背中の重い荷物は大きな翼だよ
033304.jpg 
背負うものが重く感じられても、それを翼と考えれば
白鳥のように翼を広げて、大きく飛翔できる☆

安曇野の八面大王

江戸時代、松本藩が編纂した地誌「信府統記」に、
八面大王の伝説が記されています。

昔、中房山に魏石鬼(ぎしき)という名の鬼賊がいた。
八面大王
を称し、永年人びとを困らせていた。
044218.jpg
延暦24年(805年)、坂上田村麻呂が、泉小太郎が住んでいた「川合」▲で
軍兵を揃え、翌年、魏石鬼を退治した。

 
文中にある川合の「川會神社」に行ってみました▼
011215.jpg 003215.jpg 
川合からは、魏石鬼の宮城があったという「有明山」が一望できます▼

坂上田村麻呂は、魏石鬼の復活を怖れて、体や剣をバラバラにし、
耳は耳塚、首は筑摩神社(松本市)に埋めさせました。
043218.jpg  
魏石鬼の耳を葬ったという、耳塚を探しました。
穂高町有明の大塚神社にあると分かり、スマホのナビで突き止めました。
行ってみると、田んぼの中にポツンと鳥居があります▼
015235.jpg 
穂高町にある古墳の一つという説があります。

さらに、魏石鬼の剣が埋められたという満願寺に行きました▼
坂上田村麻呂が、魏石鬼を退治するために、満願寺の
十一面観音に祈願したという伝承が残っています。

026218.jpg 
この辺りの古墳は、安曇野を開拓した安曇氏が葬られた
と考えられます。
ということは、八面大王のモデルは「安曇族のリーダー」という
仮説が立てられます!

038218.jpg 
調べてみると、安曇郡に「魏磯(たかいそ)」という名の郡司が
いたとされ、別名「魏石鬼」と似ています。
坂上田村麻呂に「鬼退治」を命じた桓武天皇は、母方が百済系渡来人で、
地元の豪族を退け、百済系を重用したのです。

034238.jpg 045238.jpg 
満願寺への道は険しく、人の足跡よりも、サルの足跡の方が多い所で
途中から歩いて向かいました。

有明山の麓、穂高温泉郷にある「八面大王の足湯」にも寄りました▼
017238.jpg 
桓武天皇は蝦夷征討のために、安曇郡の兵を出させて
陸奥へ行かせる命令を出しています。

それに、反発した安曇族の群司を懲罰するため、田村麻呂自らが
兵を率いたという説があります。

019238.jpg 
そういえば以前、燕岳を登る途中の中房に「合戦小屋」があって、
八面大王の民話を伝えていました。
合戦小屋辺りで、安曇族のリーダーは、征夷大将軍に敗れ、
鬼のレッテルを張られたというのが真相なのでしょうか?
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
ブログランキング
ランキングはコチラ
  ↓   ↓
にほんブログ村 スイーツブログ 和菓子へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 長野県情報へ
にほんブログ村
信州のお菓子
FC2カウンター
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
天気予報

-天気予報コム- -FC2-