シルク岡谷を歩く

 江戸時代末期から昭和の中ごろまで、長野県では蚕糸業が栄えました!
前回歩いた野麦峠を通って、岐阜県からも工女が
製糸工場にやってきました。


飛騨地方の工女たちが働いたのは、主に岡谷・諏訪地方の工場▼
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蚕糸業関連の産業遺産が残る、岡谷の町を歩きました☆

群馬県の富岡製糸場が世界遺産に登録されましたが
かつては岡谷も「シルクの都」として世界に知られました。
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岡谷市役所の前に「近代化産業遺産群」の案内図が出ています▲
地図に従って、西回廊コースを歩いてみました☆

市役所の隣にある岡谷消防庁舎は、製糸家から寄贈された建物▼
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「旧山一林組製糸事務所」は、大正10年に建てられた、製糸業全盛期の
洋風建築の事務所▼

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「金上繭倉庫」は、明治期に建てられ、岡谷に残る数少ない繭倉庫▲

繭霊供養塔」が照光寺に建立されています▼
昭和9年、蚕の霊を慰め、蚕糸業の発展を願って建てられました。
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簡易裁判所近くの住宅街に、「旧林家住宅」があります▼

岡谷の製糸業発展の基礎を築いた林家の旧宅☆
入館料を払って見学すると、詳しく説明してもらえます♪
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市役所方向へUターンして、北へ行くと「岡谷蚕糸博物館」▼
製糸機械類や、蚕糸関連の資料が展示してあります。
実際に、製糸会社も稼働中!
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岡谷市にあるツツジの名所・鶴峰公園にも寄りました▼
製糸会社・片倉組の片倉兼太郎が建てた小学校の
跡地が公園になっています。
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片倉家は、諏訪湖から流れ出る天竜川を利用して、製糸工場を始めました。
外国製の繰糸機を改良した諏訪式繰糸機を導入し
日本の生糸輸出を先導!           片倉兼太郎像▼
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「糸都岡谷」が出現した要因はいくつかあります。
豊富な水・繭保存に適した気候・技術開発者・金融機関の支えなど‥

なによりも、繊細な繭糸を継ぎ足して、細い生糸を作る根気のいる
仕事を黙々と続けた工女たちのおかげでしょう。

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戦後、諏訪地方では精密機械産業が盛んになりますが
製糸業の技術があったからこそ、産業転換ができたと言えます!

諏訪湖沿いにある「岡谷湖畔公園」に寄りました▼
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子供が小さい頃ここで遊んだ時と、遊具も変わっていません☆
時間があったので、諏訪湖1周16kmをジョギングしました!
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岡谷・やまびこ公園から眺める諏訪地方▲

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あゝ野麦峠を歩く

古くから信州と飛騨を結んだ野麦峠を歩きました。

野麦峠というと、女工哀史のイメージがあります。
山本茂実氏のルポルタージュ「あゝ野麦峠」が1968年に出版され、
1979年には映画化もされて、多くの人に知られるようになりました。


信州・松本側から国道158号線を上高地方面へ向かい、途中
奈川村方面に左折、古道が残る「わさび沢」まで車で行きました▼
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わさび沢の入り口に、「あゝ野麦峠」の一節が刻まれた石碑があります▲
ここから峠の頂上まで、江戸~明治時代の街道風景が残っています。
かつて、この峠道を歩いて、飛騨から多くの工女たちが諏訪方面の
製糸工場へ向かいました。

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野麦峠について興味を持ち、資料をさがしていると
「『あゝ野麦峠』と山本茂実」」という本を見つけ、読んでみました。
作家・山本茂実の波乱の生涯を妻がつづった評伝です!
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山本茂実は松本市並柳の農家にに生まれました。
軍国時代の世になり、中国南方戦線に出征したものの
肺結核になり、長期の療養生活を送ります。

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戦況が悪化する中、弟が戦死し、妹も20歳で病死。
敗戦から2年後、29歳の山本は上京して早稲田大学の聴講生になります。
在学中に、自費出版で「生き抜く悩み」という本を世に出しました。

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本は大いに売れて、その資金を元に雑誌「葦(あし)」を刊行。
雑誌の編集員に女性と結婚することになり、その女性がこの評伝の著者です。

会社組織にして軌道に乗ったものの、週刊誌に事実無根のスキャンダル記事を
書かれ、結局「葦」は廃刊になってしまいました。

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クマザサが生い茂る険しい坂を登りきると、「野麦峠の館・資料館」があります。
駐車場の前に、「お助け小屋」が復元されていました▲
資料館の前に池があり、その向こうには乗鞍岳▼
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フリーライターになった山本は、週刊誌などにドキュメンタリーを
書くようになりました。

そして子供の頃、祖母から聞いた「野麦峠」の話を思い出し、
取材を始めました☆
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「野麦峠を越えた明治百年」という作品に書いて、雑誌「文藝春秋」が掲載!

ところが、その内容が「盗作ではないか」と訴えられ、
記事が朝日新聞にも大きく出て信用失墜‥
岐阜県の野麦集落を目指して、さらに古道を進みました▼
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朝日新聞を告訴し、示談として「野麦峠の単行本を朝日新聞社から
出版すること」などが決定!
それがベストセラー誕生の秘話として書かれています。
登りきった場所に、「あゝ野麦峠」の工女「政井みね」の碑が建っています▼
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山本の妻は「あゝ野麦峠」は、山本の自叙伝のようだと記しています。
・「工女みね」と同じように妹を20歳で亡くし、悔恨の念を持っていた。
・工女が「雪の峠越え」をしたように、兵隊として行軍した。
・山本は製糸経営者のみじめな気持も経験した。

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クマが出そうだったので引き返し、野麦峠をくだりました‥

奈良井宿から鳥居峠越え

 江戸時代、五街道の一つとして整備された中山道。
長野県内には旧道の面影が、ところどころに残っています。

風薫る5月、中山道・奈良井宿から鳥居峠を歩きました!
宿場町を南へ通り抜けると、鳥居峠の上りが始まります▼
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現在、奈良井宿と薮原宿の間は、国道19号線がありますが
江戸時代は、この峠を通るしかなかったようです。
国道はトンネルを通っていて、そのおかげもあって、原形を
とどめたまま峠道が残っています▼
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石畳は花崗岩を埋め込んで復元したもの▲
分水嶺の峠でもあり、峠の北側の水は日本海に向かい
南側は木曽川になって太平洋へと流れます。

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黄色いヤマブキや、可憐な山野草が咲く間を登っていきました。
登りきると「峰の茶屋跡」の小屋があり▼湧水が流れています▼
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崖沿いの道を歩いて行くと、谷に向かって何本か栃(とち)の古木が
並んでいます▼
「天然記念物のトチノキ群」で、「子産みの栃」の伝説があります。
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この栃の洞の中に捨て子がいて、子宝に恵まれない村人が
引き取って育てたところ、孝養を尽くし、一家繁盛したという伝承です!
この栃の実を煎じて飲めば子宝に恵まれるという言い伝えがあります☆
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さらに南へと進むと、御嶽神社・芭蕉句碑などの石碑があり▲
木曽義仲硯水などのスポットがあります。
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松尾芭蕉以外にも、鳥居峠を書いた文人は多く、菊池寛の
「恩讐の彼方へ」にも出てきます。
ここから先は、藪原への下り坂になります。
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石畳の両脇に、ニリンソウの花が群生して咲いていました。
清浄な水の近くに咲く、可憐な白い花を愛でながら
新緑の萌えるような緑の下を歩きました♪
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奈良井宿に戻り、振り返ると鳥居峠の緑が見えました▼
旅人にとって心から休息できる宿だったことでしょう‥
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臥竜公園の桜

ゴールデンウィークも終わり、 新緑の季節になりました。

連休前に、信州・須坂に行き、臥竜公園の桜を見てきました。
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臥竜公園は桜の名所ですが、これまで桜のタイミングを逃してきました。
今年、ようやく取り上げます!
公園の入り口から、桜のトンネル▼
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前日まで、出店が出て賑わったようです!
2017年の桜は、咲くのが遅く、咲いた後も低温が続いたため
4月24日の時点でも、桜が楽しめました☆
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公園にある池の周りを一周しながら、桜の観賞☆
晴天だったので、桜の向こうに北信五岳を眺めることができました▼
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江戸時代に、須坂の町は大笹街道・谷街道などの宿場町として栄えました。

その後も須坂は、昭和初頭まで製糸業と共に発展!
ところが、世界恐慌によって生糸相場は大暴落‥
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工場で働いていた人々の失業対策も兼ねて、この公園が築造されたとのことです。

竜が臥せたような臥竜山を背景に、一周800mの竜ヶ池に
ソメイヨシノなどが植えられています▼

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竜ヶ池には、商売繁盛を願って弁財天が祀られています▲
弁財天から赤い橋が架かっていて、写真映えします☆
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公園に隣接して須坂市動物園があります。
展示などに趣向を凝らした動物園で、おすすめです!
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臥竜公園から西へ歩き、旧街道沿いを歩きました。
豪商の館・田中本家の前を通って南へ進み、蔵の町なみを見て帰りました!
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海野宿<北国街道

中山道は、江戸日本橋から山岳地帯を進んで、京都まで続く街道でした。

途中の追分宿から分かれて、善光寺を通り新潟県高田までを結ぶ
北国往還と呼ばれる街道もありました。

その北国街道の宿場町だった上田市は、昨年の大河ドラマ「真田丸」 の
効果で、多くの観光客が訪れました。
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北国街道に沿うように流れる千曲川の桜が満開でした▲

上田の手前にある海野宿には、江戸時代の宿場町の面影が残ります☆
「日本の道百選」に選定された、海野宿を歩きました▼
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いつも上田に行く途中、通り過ぎてしまって、今回初めて取り上げます!

この地で、古代から栄えた海野宗家は、武田氏の侵攻で絶えてしまい、
その名跡を「真田丸」の真田氏が継承したのです。

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この街道は大名の参勤交代、佐渡金山の輸送、善光寺参拝の
善光寺街道として賑わいました。
海野宿・本陣跡の長屋門▼
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加賀前田藩や越後高田藩などが、この本陣を利用したそうです。

宿場時代の建物の多くは旅籠屋(はたごや)造りで、
出格子(こうし)が、今もよく残されています▼
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「うだつが上がる」という言葉の語源となった「卯建」が見られます▼

1階の屋根の上に、張り出して付けた袖壁です。
富の蓄積や、家格の高さを示す意味もあったようです。
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せっかくなので、海野宿資料館▼にも入ってみました。
1790年頃建てられた旅籠の建物で、往時をしのぶ資料が保管されています。
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明治時代になって、宿場制度がなくなると、蚕の卵を商品とする
蚕種製造が主力産業となりました。

千曲川の風通しの良さが、健康な蚕の産地に適していたのです。
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資料館に入ると、土蔵や物置に蚕業に使われた道具や農機具が
残され、養蚕農家の様子がわかります。              
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養蚕業によって海野宿は潤い、立派な蚕室や鯱瓦のうだつを
のせる屋敷が軒を連ねるようになったのです。
蚕で「うだつがあがった」わけです!
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伝統的建物以外にも、なつかしの玩具展示館や、蕎麦屋、雑貨店
などもあって、楽しめます☆
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