松本城が傾いた伝説

2017年元旦、初詣をしてから松本城まで歩きました。

青空が広がる良い天気で、銀色に輝く北アルプスを望みつつ
お濠には白鳥、そして漆黒の天守閣は絵になります☆
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観光名所となっている松本城も、明治時代には荒廃して競売にかけられたり
大きく傾いた状態になっていました。
そして「松本城が傾いているのは加助の祟りだ」と、うわさされました。
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加助というのは、江戸時代、松本藩で「貞享(じょうきょう)騒動」という
一揆を首謀した人物です。
1686年、過酷な年貢に苦しむ農民を救おうと、加助たち同志は騒動を起こしたのです。
松本城太鼓門の門松▼
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時の藩主は水野忠直公で、参勤交代のため江戸詰で、出費が多くかかります。

近隣の藩の年貢は、一俵を米2斗5升挽きであるのに、
松本藩では3斗4升挽きを厳命したことが発端です。
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松本城で見かけたウサギ▲
加助が生まれ育った安曇野市三郷中萱(みさと・なかがや)には、義民をたたえた
貞享義民記念館」建っています▼
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貞享3年、多田加助を首領とする同志は10月、中萱の熊野神社に集まって
密議し、2斗5升挽きの要求等5ヶ条の訴状を持って郡奉行に訴え出ました。

記念館の奥に熊野神社があります▼
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およそ1万人の農民たちが、これに加勢しようと松本城を取り囲みました。

家老たちは騒動が長引くことと、江戸への直訴を恐れ
籾納めを2斗5升挽きと聞き届ける旨の覚書を出しました。

貞享義民記念館内の様子▼
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農民たちは村々に引き上げ、騒動は静まった加のように思われました。

ところが藩では、村々に対し覚書を返上させ、江戸へは真相を隠して注進し
首謀者とその子弟を一斉に投獄しました。

中萱公民館の隣にある加助神社▼      旧加助宅には「2斗5升の碑」▼
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11月、28人の者が極刑となり、加助は磔の刑となりました。

加助が処刑された刑場は、かつて丸の内中学校の北にあり
現在は、義民塚と碑が建てられています▼
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はりつけにされた加助が松本城をにらむと、天守閣が西に傾いたと言います。
加助は「2斗5升!」と絶叫しつつ息絶えた、と伝えられています。
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養老坂と加助騒動<塩の道(17)

江戸時代、信州・松本平の住民は、生活に欠かせない塩や海産物を
日本海側から、千国街道経由で購入していました。

千国街道を行き来した庶者には
悲喜こもごもの人間ドラマがあった事でしょう。

江戸時代、加助騒動を起こして処刑された、多田加助もこの道を
通って安曇野から松本へ向かいました。

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千国街道は、安曇野から「熊倉の渡し」で舟に乗って犀川を渡り
養老坂を越えて松本に入る道筋でした。
熊倉の渡しから、現在の国道19号線沿いを南に進み
「泣坂」を登って行きます。

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JR篠ノ井線の踏切手前に「多田加助夫婦惜別の岩」があります▲
近くには道祖神がたたずみ▼10月桜が咲いていました。
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貞享3年(1686年)11月16日、加助一族が騒動のかどで捕えられ、
加助と弟、12歳、3歳になる子供らが役人に引かれ、入牢に向かう
道すがら、妻お民との別れを、惜しんだ岩と伝えらています。

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泣き坂を登りきると、松本トンネルへと続く国道に出ます。

ここから先の旧道は消滅していますが、歩いて行けそうな
それらしき藪の中を登ると、アルプス公園に向かう道になります▲
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北アルプスが広がる大パノラマで、筑摩・安曇野が一望できます▲

貞享3年、松本藩では、年貢を納める際の籾(もみ)一俵を今までの3斗入れから
3斗5升入れに増徴するなどの厳しい命令がありました。
藩の年貢担当者が、村々を巡回するうち、安曇郡の中萱村の前庄屋・加助
が抗議をして、訴訟になりました。

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松本平を展望する東屋のあたりに、養老坂の道標があります。

人や牛馬が踏みしめて、堀のようになった「ウトウ」と呼ばれる道が
ゆるやかなカーブを描く養老坂▼
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養老坂を登り切ると、松本市民にはお馴染みであるアルプス公園の
北端に出ます▼
老根田という縄文時代の遺跡が残る一帯を歩いていきます▼
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加助らは、抜き差しならない事態に、一揆の力で出訴する事を決意。
一揆勢は、郡奉行に5か条の訴状を提出しました。
1万とも伝えられる百姓が、松本城を取り巻くように群衆したのです。

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松本藩主・水野忠直は参勤交代のため不在で、城代家老は
百姓側からの訴訟内容をおおかた認めた回答書を手渡しました。
一方、江戸藩邸とも連絡を取って、藩主の裁可を得て年貢減免の
約束を反故にし、首謀者の逮捕を始めました。
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一般道に出た後、リンゴの果樹園を横切り▲こんどは急な坂を
下っていくと、松本盆地東側の山が見えてきます▼
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騒動の首謀者と、その兄弟・子供が、ことごとく磔(8名)または
獄門(20名)という厳罰になりました。
加助の参謀格だった善兵衛の16歳になる娘おしゅんも
処刑されました。

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近くにある海福寺に立ち寄りました▲
海福寺近くの平地は、戦国時代、越後の上杉謙信から武田信玄領だった
松本へ送られた義塩を一時、駐留させたところと言われます。
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下った所にある塩倉池▲の名前も、それに由来します。
千国街道沿いの町で、正月から2月にかけての風物詩「飴市」も
塩の初市が、飴も売るお祭りになっていったといわれます☆

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天神道を越えて<塩の道(16)

 古道の面影が残る、長野県小谷村の千国街道を歩きました。

今回は、国道148号線の「道の駅・小谷」からスタートして、
千国街道の中の「天神道」と呼ばれるコース!
11月中旬、紅葉が残る杉木の回廊を新潟県に向かって進みます▼
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「道の駅 小谷」の裏を通る道を進むと、「島温泉」があり
天神道入口の立て札が出ています。
「城の越-ねじかけ-湯原方面」▼「ゆっくり歩いて2時間」と書いてあります。
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信越国境付近の天神道越えコースは、かつての「塩の道」が残り
山腹の地形をめぐる、ゆるやかな上り下りが続きます。
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江戸時代、信濃の松本藩では、日本海からの塩の流入以外を禁じたため
糸魚川と松本を結ぶ、この千国街道は重要な「塩の道」でした。
李平(すももだいら)の集落が見えました▼
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峠道を登り切った頂上付近が「城の越」で、茶屋跡の標柱があり、
水場に清水が滴り落ちています▼
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城の越から少し登った所に「三峯様」という、円錐状の萱が3体たたずんでいます。
盗難、火災除けの神を祀る原初的な社で、中を覗くと平べったい石が置かれています。
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こういった日本の原風景や、里山の四季の移ろいを見たくて
塩の道を歩いています☆
城の越から先、古道は分かりにくい脇道へと入り、昔のままの道になります。
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松本から日本海へ向かう道中で、初めて越後の村が見える地点まで来ました!

足下を姫川が日本海に向かって流れ、色あせた紅葉の向こうに
明星山という富士山に似た形の山が見えました▼
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列車や自動車が無かった時代、重い物資を牛馬に積んだり、人が背負って
こんな道を行き来していたのかと思うと、のどかなような、大変な様な‥
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落ち葉を踏みしめながら斜面をトラバースして進みます。
豪雪地帯なので、雪がある12月後半から5月初めまでは
ボッカと呼ばれる者たちが、荷を運びました。

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道の先に、『信越の交流』砂山の石仏があります▼
かつて、このあたりにボッカや牛方が泊まる宿があったそうです。
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牛方は、牛に2俵(約90kg)づつ背負わせて、一人前になると6頭の牛を追って
この道を通ったとのこと。
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「ねじかけ」という標識の先を下っていくと、国道148号線が見えていきます。
ちょうど塩坂トンネルの上を歩いてきて、湯原という地点に出ました▼
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この先に見える湯原トンネルを抜けると、雪国の新潟です!
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白馬の千国街道<塩の道(15)

日本海と信州を結ぶ交易路だった千国街道の中でも
白馬村は、荘厳な白馬連峰を仰ぎ見る区間です。

塩の道と呼ばれる千国街道を歩いてきましたが、今回は
JR大糸線・白馬駅付近から松川橋を渡り、北へ向かいます。

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白馬高校の裏道を通って行くと、まだ雪の無い八方尾根スキー場が見えてきます▲
撮影した10月30日、まだ冠雪前の峰々を眺めつつ、松川橋を渡りました▼
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国道148号線沿いを北上して、白馬岩岳スキー場方面に行く道を歩きます▼

白馬村内の「塩の道」は、南から「白馬五竜」「八方尾根」「岩岳」と続く
スキー場のふもとを通って、小谷村へ向かいます。
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新田の集落に入っていくと、「庄屋まるはち」というカフェ・レストランがあります▼
豪商・横澤家の築160年の屋敷を改築した、歴史的古民家です☆
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生活用水路が流れる古道沿いを進むと、水車小屋があります。
この周辺は石仏・道祖神や薬師堂など、多くの史跡が残っています。
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道が何度も折れ曲がるため、古道をたどるのが難しく、3回挑戦して
ようやく経路がつながってきました。
首切り坂と呼ばれているらしい坂を登ります▼
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観音原石仏群があり、187体の石仏が内側を向いて、ぐるりと並んでいます▼
石仏群としては、塩の道随一の場所で、観音信仰の深さと広がりが解る聖地☆
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造立年代は、江戸末期で、西国・坂東・秩父の百体観音が揃っているそうです。
形も大きさもまちまちですが、おだやかな表情に癒されます。
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岩岳の麓を通る塩の道沿いには、現在、「塩の道温泉」があり
民宿やペンションが並んでいます▼
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その先で道が交差して、切久保庚申塚に突き当たります▼
庚申塚とは、集落に役病や魔物が入るのを防ぐもので、
これが村で一番古い塚とのこと。
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道なりに歩いて行くと▼切久保諏訪神社(霧降宮)があります。
「七道の面」「薙鎌」などの社宝を有しています。
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霧降宮の先で、一旦、県道433号線に出て、小さな渓谷に架かる
瀬田橋の手前で、古道に分け入っていきます。
橋の下の岩場に洞窟があるようで、「おかるの穴」という嫁姑の不仲に
まつわる話が残っています。

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『おかるという名の嫁が、霧降宮にある七道の面をかぶって、姑をおどしたが
顔から面が取れなくなって、洞穴に身を隠した』と伝えられる民話です。

「おかるの穴」の案内板から続く山道を登っていくと、石の道標があります▼
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「右ゑちご 左やま道」と刻まれた落倉道標です。
明治20年頃まで、人々は物資を背負い、牛や馬の背に荷を積んで
この道を行き来しました。
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塩の道は、今も生活道路として使われている道もあれば、
開発によって消えたり、迂回した道もあります。
白馬村の塩の道も、ほとんどが舗装された道路歩きですが
自然と歴史の道としての魅力が残っています。

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晩秋の塩の道歩きは快適で、落ち葉をサクサク踏みしめながら、
紅葉のトンネルをくぐって進みます。
視界が開けて、再び433号線に出たところに駐車スペースがあります▼
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県道の向かい側に「風切地蔵」が鎮座しています▼
このお地蔵さまは、大風や悪魔・病魔の風を断ち切る力があると
言い伝えられています。
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この先で小谷村に入り、栂池高原スキー場のふもとを歩く道になります。

「君の名は。」(3)<小海町高原美術館

 大ヒットしている新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」の展覧会が
新海監督の故郷・長野県小海町で12月25日まで開催中!

南佐久郡小海町にある高原美術館に行ってみました▼
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佐久市から山梨県の清里へと続く国道141号線をドライブして、
松原湖入口の信号から、西へ登って行った所にあります▼
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「君の名は。」展は、新海監督がコマ割りに描いた絵コンテや企画書、
作画監督によるキャラクター設定表などが展示されていました☆

小海町高原美術館のパンフレットより▼
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「こうやってアニメが描かれたのか」と、展示品に感心しただけでなく、
宇宙に近いような小海町の空に驚きました。
帰り道は、麦草峠を越えてメルヘン街道を通りましたが、
この道は、間もなく冬季通行止めになります。
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新海監督は「糸守町のモデルは?」と聞かれて、「糸守町は、ふりかえると小海町の
イメージで風景を描いていた気がします」と答えています。


美術館の近くにある松原湖にも寄りました。
冠雪前の八ヶ岳が湖面に映っています(10月25日撮影)▼
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さらにインタビューに答えて、新海監督は「湖のある町ということで、最初に
パッと考えたのは、松原湖のことです」と語っていました。

週刊新潮の記事に、老舗建築会社・新津組社長である新海監督の父の
コメントが載っていました。
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「光の描き方など綺麗ですね。
誠は小学校では、スピードスケートをやっていて、早朝5時くらいに凍った
松原湖で練習していました。」

松原湖から高原美術館へ向かう途中に見える八ヶ岳の峰々▼
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小海町から眺める八ヶ岳は、反対側の諏訪方面から見るのと
比べて、身近で親しみやすい印象☆

「君の名は。」のヒロイン・三葉の実家である神社は、岐阜県の日枝神社
や、気多若宮神社ではと言われています。

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そして、三葉と四葉が舞を踊って口噛み酒を作った神楽殿は
佐久市の新海三社神社がモデルではないかと聞き、寄ってみました▼
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監督の筆名に影響があったのか分かりませんが、新海三社神社は
佐久一の宮といわれ、粛然とした参道が拝殿に続いています。
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この日、神楽殿に幕が張られていて、映画のシーンと比較できませんが、
絵コンテの神楽殿と、軒の梁や全体の作りが似ています▼
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新海監督は雑誌「ダヴィンチ」で、「君の名は。」は『思春期の人に向けて作った
と述べています。
そして『思春期というのは、年齢で区切られるものではなくて。
まだ会ったことのない人の中に、大事な人がいるんじゃないかと
すがるように想ってしまう、その状態が思春期なのではないでしょうか。

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僕は今もその気分が抜けないですし、そこに自分が映画を作る理由が
あるとも思っています。

年齢に関係なく、誰の心にもある思春期の部分の琴線に触れるからなのか
「君の名は。」をリピートして観る人もいると聞きます。
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新海監督は、小海線の電車で佐久市の野沢北高校へ通学した
そうですが、映画に出てくる踏切は、高校近くの踏切に似ているそうです。
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国道141号線から、新海三社神社に向かう途中に見える浅間山▲
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