信濃大町<塩の道(14)

台風が次々とやってきて、今年のシルバーウィークは、天候の優れない日が続きました。
塩の道「千国街道」を、途切れ途切れに歩いて1年になりますが、
お彼岸の頃、そぼ降る雨の大町市街を歩きました。

JR大糸線・信濃大町駅の北の踏切を渡り、五日町の角を博物館通りで左折▼
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荷継の宿場町として栄えた大町の塩問屋だった平林家を
博物館にした、「塩の道ちょうじや」という建物があります▼ 
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午後4時に、日本海の生魚を積んで糸魚川を出発し、翌日午後4時か、翌々日の
朝7時に大町まで届ける、「大急」という便がありました。

大急便は、大町で人夫を交替し、午後5時に出発して、翌朝7時に
松本に荷を届けました。
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塩魚は3~4日かけて大町に運ぶ便がありました。
塩などの保存のきく荷物は、糸魚川から5~6日かけて、大町にやってきました。
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明治時代に改築されたままの母屋は、高い天井の梁組が見事で
2階には塩の道に関する資料が展示されています。
写真撮影OKということなので、館内を撮りました。
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麻や塩の問屋で、味噌や醤油も作っていた商家の帳場が残っています▲
塩や荷物を運ぶ牛方・馬方や旅芸人、托鉢僧をはじめ庶民が歩く道でした。
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塩荷を店前で牛馬の背から下ろし、大八車に積み替えて、奥の塩蔵
まで運びました▼
その塩はほとんど粗塩で、湿気を吸って苦汁(にがり)の液が出ました。
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塩の入れ物は、俵や定型のカマスを使い、塩荷を積む場所には、「苦汁だめ」
の仕掛けが残っています。
味噌・醤油、さらに漬物を作っていた当時の、漬物蔵もあります▼
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館内では各種企画展が開催され、現在、華道家・假屋崎省吾さんの花が展示されています!
「ボッカ(歩荷)の衣装を着てみよう」、というコーナーもありました▼
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戦国時代、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦っていたころ、山国信濃は塩の流入を
止められ苦しんでいました。
これを知った謙信は、「戦いは弓矢でするもの」と言って塩を送りました。

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新年、大町に塩が届いた時、盛大に塩市を開いたと伝えられます。

塩はやがて飴に変わり、市神様が祭られ▲縁起物やだるま、福飴などが売られます☆
塩の道ちょうじやを後にして、国道147号線沿いの大町アーケードを歩きます。
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大町は、女子バドミントン選手・奥原希望(のぞみ)選手の出身地で、あちこちに▲
「リオ・オリンピック銅メダルおめでとう」というポスターが貼られていました。

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大町には湧水があり、商店街の西側は、「男清水(おとこみず)」▲
東側は「女清水」が、町を潤しています。
九日町の町屋風景▼
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道が分かれる「大黒町追分」に庚申塔があり、「右 善光寺道」と刻まれています▲

その先に、江戸時代末期に建立された大黒天の石像があります。
大黒天と並んでシダレ桜があり、こちらは今年4月17日に撮った写真▼
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浦川から松ヶ峯~来馬<塩の道(13)

千国街道は新潟県糸魚川から信州・松本に至る道で、古くから
塩や海産物などが運ばれました。

険しい山道を通る千国街道の中でも、特に山崩れが多くて
通行が困難だった長野県北小谷の来馬地区を歩きました。

前回、大糸線中土駅から歩いて石坂地区に至り、その続きになります。
千国街道・塩の道のスポットである「幸田文文学碑」に着きました▼
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幸田露伴の娘で、作家の文(あや)は、70歳を過ぎてから山河の崩落地を訪ねた
ルポルタージュ「崩れ」という作品で、稗田山崩れについて書いています。

1911年(明治44年)、稗田山の大崩落で姫川の支流・浦川が氾濫し、石坂・来馬の
集落が壊滅的被害を受けました。
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「百年前、この谷は崩壊の土砂に埋め尽くされ、犠牲者が今も眠る」と刻まれています▲
1995年(平成7年)にも、土砂崩れで石碑が流され、再建されました。

文学碑の先にある浦川橋を渡ります。 橋の上から眺める浦川▼
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古道・塩の道は、浦川の西側に沿うように、松ヶ峯・来島方面の標識の方へ、
歩いていきます。
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この浦川沿いの古道が予想外にジャングルで、シダ類やコケが生い茂る
密林のアドベンチャーでした。
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浦川に流れ込む小川のせせらぎが、古道に沁み入る幻想的な道☆
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瀬音を辿りつつ歩き、一旦開けた場所に、「中浦の大岩」があります▼
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河原沿いの平らな道になり、 ペンペン草を踏みしめながら、ススキの穂の間を進みます。
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ここから「松ヶ峯」まで登りになります。
稗田山の大崩落の際は、土石流が松ヶ峯▼を乗り越えたとのことです。
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明治中期に新道が開発されるまで、牛馬や歩荷(ぼっか)によって、信越国境の
山間地帯をめぐり、海陸物資交易の重要路線として栄えました。

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松ヶ峯から北の姫川河原には、かつて来馬宿があり、美田地帯だったと
書かれていますが、今は土砂が堆積しているだけです。
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かつては、小谷の三宿(大網・千国)の一つだった来馬の集落は姫川の
河原に埋まってしまいましたが、来馬諏訪神社は残っています▼
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さらに、神社の先には常法寺の史跡があります▼
20メートル下に埋まっている来馬集落からは、かつて本堂に向かう
見事な参道があったそうです。
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塩の道を通って馬がやってくるので、来馬という名がついたとか‥
この先を下っていくと、来馬温泉に出ます。
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フスベ~せえの神‥石坂越え<塩の道(12)

信州の小谷(おたり)地方には、かつて、松本から日本海の糸魚川を結んだ
「塩の道」千国街道の痕跡を、あちこちに見ることができます。

今回は、JR大糸線・中土駅周辺の古道を歩いてみました。
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下里瀬(くだりせ)温泉から、「車坂」▲を登って北へ向かいます。
途中から舗装も無くなり、山腹を巡るようになります。
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この先は「フスベ」と呼ばれる難所で、狭くて滑り落ちそうな勾配。
当時、牛馬に荷を積せて運ぶ途中、転落することもあったといいます。
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牛方という者たちが、牛を多くて7頭追いながら、坂を行き来ました。
眠くなってウトウトした牛方が、手綱を引っ張られて牛に助けられた
話も残っています。
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眼下に姫川が流れ、筒状に覆われたJR線路が見えました▲
姫川と大糸線の西側に隆起する急斜面に、へばりつくような古道です。
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フスベを過ぎて、視界が広がった所に池原という集落があり、
「塩の道」の表示に従って北へ歩いて行きました▲
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8月の日差しの中、夏の花を眺めながら古道を進みます☆
向こうに見える3角形の平倉山には▼戦国時代、平倉城があったそうです。
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崩落が見られる立山▼を背景に、棚田が美しく並んでいます。
桃源郷のような静かな農村風景☆
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一旦、一般道に出て、再び「塩の道」▼の坂を登ります。
石仏群があり、昔のままの古道へ分け入ります。
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猛暑の日でも、樹木の日陰を歩くことができます。
姫川の急流を避けて、下里瀬から車坂を登り、フスベ~池原を通る「石坂越えコース」です。
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登り道が下りになる手前に「賽(せえ)の神」という表示が立っています▼
せえの神は、村の入口にあって、悪霊から守る神です。
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せえの神から向こうは、石坂集落があり、民家が坂沿いに建っています。
湧水を利用した手作りの水道や、生活の匂いがしてきます。
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急な坂を下り終えた場所に石仏群があります▼
この先の道は、北小谷~葛葉峠へと続きます‥
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真田丸・大河ドラマ館~柳町

2016年から、8月11日が「山の日」の祝日になりました!

「第一回山の日記念全国大会」が長野県松本市で開催されました。
夏休みに入って、信州の山や観光地は賑わっています。

今年は特に、「真田丸効果」もあって、上田や松代方面が人気☆
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NHK大河ドラマで、草刈正雄さんが演じている真田昌幸が築城したという
上田城に行きました▲
徳川軍を2度にわたって撃退した難攻不落の城でした。
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上田城跡公園は以前にもまして、おもてなしに力を入れている
ようで、青空フードコートやビアガーデンも設けられています。

さらに、「真田丸・大河ドラマ館」が来年1月までやっています▼
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上田城には、真田十勇士のコスプレをした「おもてなし武将隊」がいて
無料で場内案内したり、写真撮影に応じています▼
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真田十勇士は後世の創作で、架空の忍者たちですが
小説や漫画にも描かれて、今でも人気のキャラクターですね。

上田の街角10カ所に、十勇士のモニュメントが設置されています▼
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上田駅前通りにある「池波正太郎・真田太平記館」前には、猿飛佐助像▼
太平記館内には作家・池波正太郎に関する資料や、
真田一族の短編映画を観るシアターがあります。
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中央2丁目交差点には望月六郎モニュメント▼
ここから西へ歩くと上田高校のお堀があります。
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上田高校の正門は、かつて上田藩主の屋敷門でした。
真田丸の第1回目放送の後、上田高校の校歌が紹介されて
藩主屋敷跡に建つ上田高校が映りました▼
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ここから北へ歩いて行くと「柳町」という古い街並みがあります。
北陸方面へ向かう北国街道の、宿場町の面影が残ります▼
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柳町には「保命水」という水場があります。
これは、真田昌幸が上田城の鬼門よけとして建立した海禅寺の湧水を
明治時代になって、木管をつないぎ、水道にしているそうです。
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真田丸<信濃国分寺のハス

長野県上田市にある信濃国分寺のハスを見に行きました。
境内の北側にあるハス池には蓮の花が華やかに咲いていました▼
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信濃国分寺に来てもそうですが、今、上田の街は「真田丸」の赤いノボリが
あちこちに立っています▼
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2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」効果で、観光客が増えています!
現在、放映中のドラマでは、堺雅人さん演じる真田信繁が、豊臣秀吉の肝いりで
大谷吉継の娘を正室に迎えるという話になりました。
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その後、秀吉が病没し、徳川家康が天下を取ろうと画策するストーリーになるでしょう。
秀吉亡き後、2年後には遠藤憲一さん演じる上杉景勝に上洛を要求するも
拒否されて、会津征伐軍を出す流れになるはずです。
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徳川から真田家にも出陣命令が出て、信繁、昌幸(草刈正雄さん)は上田城から
兵を率いて会津に向かうことになるでしょう。

その途次、石田三成(山本耕史さん)が、家康に反旗を翻すのが史実ですね。
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信濃国分寺・三重塔▲
徳川軍に合流するため、栃木県宇都宮を目指していた真田親子のもとに
石田三成からの書状が届きます。
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栃木県犬伏宿で、父・昌幸と信繁は石田三成の西軍に、
長男の信幸は親戚関係にある徳川加勢すると、密談します。

この「犬伏の別れ」の後、昌幸・信繁は上田に帰ります。
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石田三成の挙兵を知った家康は江戸にもどり、全国の大名に
書状を送り、いよいよ関ヶ原の戦いに向かうわけです。

反旗を翻した真田に対して、家康は長男の秀忠(星野源さん)を
上田へ向かわせます。
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秀忠が上田城に籠城する昌幸を降伏させようと、会見を設けた場所は
信濃国分寺であると、小説・真田太平記などに描かれています。
境内には昨年、「真田・徳川会見の地」という石碑が建てられました▲
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真田家の家紋「六文銭」がデザインされた上田駅▲
兄・信幸が徳川側の使者として会見し、敵味方に別れた親子が再会します。
昌幸は降伏を受け入れたと見せかけて、戦闘の準備をします。
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上田駅前の真田信繁(幸村)像▲
そして、そのまま第2次上田合戦に突入してしまいます。
さて、ドラマではどのように描かれるでしょう?
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