砥石・米山城<真田丸の故郷

2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」!

堺雅人さんが演じる主人公の真田幸村(信繁)は、第1話の時点で15歳。
甲州・武田家の人質の身分から解き放たれ、父・真田昌幸(草刈正雄さん)が
待つ上州に逃れ、真田丸が船出しました。

その後、信繁は信州・砥石城下に移ったという史料があります。

昨年の11月、真田氏ゆかりの砥石城▼に登り、真田丸の気分を感じてきました。
002106.jpg
砥石城は、もともと真田氏発祥の地である真田郷に隣接して築城されたのが
村上義清らとの戦いに敗れ、村上氏の城になっていました。


そして、武田軍が砥石城攻めを行ったものの、砥石崩れと呼ばれる大敗をします。
019106.jpg
案内図のように砥石城は、米山城~本城~枡形城と連なる複合城郭▲

武田軍を退けたのもうなずける、険しい坂を登って、まず南の米山城へ!
米山の山頂には、村上義清公の石碑が建てられています▼
067145.jpg 070115.jpg
真田昌幸の父・幸隆は、武田家の家臣として、砥石城を調略によって落城させ、
真田の郷を奪還して、真田3代(幸隆-昌幸-幸村)の基礎を築きました。


砥石城への坂は、以前来た時より、だいぶ整備されていて、鎖をたよりに登った勾配にも
階段が作られていました。(その分、戦国時代の趣は減じています。)
011115.jpg 014115.jpg
砥石城跡からは、昌幸が築いた上田の街が見下ろせます▼
晴れた日は、富士山も見えるはずが、日中は逆光のせいか、
一度も見れたことがありません。
021117.jpg
腰が引けて行けなかった本城への崖を、今回初めて下って、本城に向かいました。
崖の下には「切岸」という案内板があり、「敵の侵入を防ぐために、崖を作った」
と書いてあります▼
025117.jpg 029117.jpg
その先の、やや平らになった場所に「大手口」があったようです▲

さらに、一段高くなる勾配に▼石垣が残っていて、その上が本城☆
本城から振り返ると、かなたに白く北アルプスがそびえています▼
 042137.jpg 048137.jpg
尾根の北端に枡形城があり、入口が枡の形になっています。

ここから、真田の里と呼ばれている本城、城館跡辺りが見降ろせます。
左上の冠雪した山が▼烏帽子岳。
050106.jpg
ドラマ「真田丸」で信繁(幸村)は、各地を渡り歩くことになりそうですが、
この風景が心の故郷だったかもしれません。

スポンサーサイト

千曲川旅情@荒砥城

4月5日から5月いっぱい、長野市の善光寺御開帳が行われます!

江戸時代になって善光寺詣りが盛んになると、善光寺への街道を
善男善女が行き来するようになりました。

善光寺詣りの精進落としの湯として、戸倉上山田温泉が昔から
親しまれていました。

その温泉地を見下ろす山にある「荒砥城(あらとじょう)跡」に行きました▼
008320.jpg 010320.jpg
戦国時代、この地の豪族だった村上氏の一族が築いた山城です。

その頃、武田信玄と上杉謙信との間で、北信濃の支配権をめぐる闘争が起こりました。
世に言う「川中島の戦い」の始まりです!
025318.jpg  
1553年、武田信玄に城を攻められた村上氏は、越後に逃れ、上杉謙信に支援要請。

村上氏は反攻し、信玄は一旦兵を引きました。
この荒砥城から、村上氏の本城であった「葛尾城」が望めます。
03332.jpg 
その後、武田家の重臣だった真田氏の急襲に遭い、荒砥城主は戦死。

武田軍は再び北信濃へ侵攻し、  村上氏の諸城を落としました。
その後も、上杉・武田両軍は荒砥城をめぐって争奪戦を繰り返しました。
015319.jpg  
武田氏滅亡後、この一帯は上杉氏が治め、その後、廃城となりました。

平成7年に史跡公園として、山城が復元されました。
櫓からは、眼下に千曲川、右手は坂城町 ・上田市方面になります。
017325.jpg 036325.jpg
兵舎や館、門などが再現されて、戦国時代の城を体感できます☆

左手を眺めると、飯縄山~戸隠~北アルプスの連峰▼
この千曲川と犀川が合流する地点が川中島と呼ばれます。
037319.jpg 
荒砥城跡から見下ろして、右下が上山田で、千曲川に架かる長い橋は
「万葉橋」と言います。
その名の通り、この地は万葉集にも詠われました。

信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾わむ
031325.jpg 
千曲川の小石でさえ、君が踏んだ石ならば、宝石だと思って拾いましょう‥
といった意味でしょうか。

江戸時代から、戦国時代、さらに万葉の世にまで時空を
超えてしまいそうなスポットです。
044313.jpg 

巴淵の紅葉<巴御前

信州・木曽町の宮ノ越という、旧中山道の宿場町へ行きました。

平安時代末期に、「旭将軍木曽義仲」が平家討伐の旗揚げをした里で、
町村合併する前は、義仲にちなんで「日義」という村でした。

国道19号線から「宮ノ越宿」の標識を西へ向かうと、「巴が淵」に出ます▼
0061101.jpg 
木曽川に「巴橋」が架かっていて、下が淵になっています。

案内文によると「この淵は巴状にうずまき、巴淵と名付けられました。
また、この淵に住む龍神が巴御前にに化身して、木曽義仲の
生涯を守り続けたという伝説に由来します
」。
0631401.jpg 
木曽川は落ち葉を浮かべつつ流れ、巴淵で渦巻いています。

巴御前は義仲の義父である中原氏の娘で、義仲が駒王丸と呼ばれた
幼少の頃から一緒に育ち、この淵で水浴びをしたという伝承が残っています。


木曽川の上に線路が架かっていて、ちょうど電車がやって来ました!
0691401.jpg  
紅葉に向かって突っ込んで行くような、鉄道マニア向きの一枚▲
巴御前は義仲の妾で、「平家物語」に「色白く髪の長く、容顔まことに優れたり」
と書かれています。
0181142.jpg 0651134.jpg   
その上、荒馬を巧みに乗りこなし、弓を引かせても男たちに引けを取らず
派手な鎧を着た武将だったといわれます。

義仲の元に、以仁王より平家追討の令旨がもたらされ挙兵します。
山吹山のふもとを流れゆく木曽川▼
0241401.jpg 
信濃・上野(こうづけ)・北陸道の豪族を従え、平家との戦いに勝ちます。

平家一門を都落ちさせ、日の出の勢いで上洛し「旭将軍」と呼ばれました。
川を下った所に、義仲の菩提寺である「徳音寺」があります▼
0261143.jpg 
義仲軍は都で兵糧の補給ができず、都の貴族たちは粗暴なふるまいを
馬鹿にするようになります。

後白河法皇は義仲を都から遠ざけようとし、義仲討伐を呼びかけました。
0331153.jpg 0471153.jpg  
鎌倉から源頼朝が派兵した源義経・範頼の義仲討伐軍が京にせまります。
義仲は京を逃れ、琵琶湖畔にたどり着き、宇治川の戦いで大敗‥

大津でも敗れ、生き残った義仲軍は五騎で、その中に木曽から付き随って
きた巴御前がいました。
徳音寺境内にある「娘時代の巴御前」像▼

0341143.jpg 
義仲は巴に「お前を殺したくないから逃げなさい」と言うも
巴は「いやです。最後までお供いたします!」
「わしの分まで生き抜いてくれ。さらばじゃ」と、義仲は近江国・粟津で最期を迎えます。
義仲を祀る霊廟▼                    義仲像▼
0391143.jpg 0411143.jpg
巴は義仲の愛情を信じ、東へ馬を走らせました‥ 

霊廟の右手奥には、義仲と巴の墓があります▼
剣と愛に生きた巴御前は、今でも舞台などに取り上げられます☆
0431143.jpg 

木曽義仲と松本平の寺

アジサイなど季節の花を見に行こうと、松本市周辺のお寺を調べてみました。

すると、征夷大将軍・木曽義仲にゆかりのあるお寺が多い事に気付きました☆

義仲が源平合戦で活躍したのは、平安末期の遠い昔で、その生涯については諸説さまざま‥
「源平盛衰記」には、『信濃国安曇郡に木曽という山里あり。
義仲ここに居住す。』と、記されています。

義仲の母「小枝御前」の墓があるという、塩尻市の長興寺▼に行ってみました。
016713.jpg 018713.jpg
義仲が2歳の時、父の源義賢が討たれ、母の小枝御前と共に信濃に逃れます。

小枝御前は、信濃権守の中原氏に「義仲が源氏の大将になれるよう」に頼んで亡くなりました。
長興寺・庭園の「沙羅樹▼」の花                  菩提樹▼
019171.jpg  022713.jpg
山門を出るとソバ畑▼があり、夏ソバの花が既に咲き終えて、
黒々とした実を付けていました!
029713.jpg 
幼少時の義仲は、朝日村で育ち中原氏や、松本の今井氏の館を行き来しました。
松本市今井にある宝輪寺に寄ってみました▼
009713.jpg 012713.jpg
一説には、義仲は元服した後、信濃の国府がある松本で武芸に励んだといいます。
27歳で平家打倒の旗揚げをした以降については、歴史書に書いてある通り♪

さて、前回の「弘長寺のアジサイ」の続きです!
弘長寺の庭園はビオトープのように自然豊かなので、鳥や昆虫の種類も豊富☆
070708.jpg 
紫陽花のミントっぽい色彩の中に、シオカラトンボ▲の青いお腹がピッタリなじんでいました☆

こちらは▼緑メタリックなハナムグリが、鮮やかビーズ風アジサイと戯れています。
029712.jpg 050714.jpg 
花びらの縁が茜色のアジサイを撮ってみたら、似たような色のトンボ▲も一緒に写っていました。

虫を追いかけていた、幼少の頃の子供心がよみがえるような一時でした♪


          あずさ堂小林       
  和洋菓子・通販ホームページはこちら ←

テーマ : 信州
ジャンル : 地域情報

尖石縄文考古館で古代ロマン

長野県信濃美術館で開催中の「エジプト展」が好評だそうです。(5月末まで)★
発掘された像を見るにつけ、古代エジプト文明の偉大さに驚嘆!

同時代の古代日本はというと、縄文時代が9千年続いたと言われています。
特に、日本の屋根のような長野県の八ヶ岳山麓付近は、縄文遺跡が密集♪

その1つ、茅野市の棚畑遺跡から出土した「縄文のビーナス」は国宝です!

現在、尖石遺跡にある「尖石(とがりいし)縄文考古館」▼が所蔵しています。

DSC03595.jpg 

”土偶などを怪盗ルパンが狙う?”という映画のロケが、

6月に長野市の他、青森・兵庫・岡山などで行われるという記事を読みました。


ルパン3世の方ではなくて、怪盗アルセーヌ・ルパンの「奇巌城(きがんじょう)」

舞台を現代日本に置き換えた映画‥との事(来年公開予定‥予定です)☆

 DSC03591.jpg

尖石縄文考古館は、出土品の展示だけでなく、縄文文化を体験できます。


興味深いのは縄文人の衣服で、「編布(あんぎん)」と呼ばれる布で作られたようです。

弓きり式の火起こし道具▼

DSC03585.jpg DSC03584.jpg

縄文の模様を粘土に付ける体験コーナーもあります▲

糸をより合わせて作った縄を転がすと、縄文模様になります。

このような、ひもや縄の文化が縄文時代の初めからあったのでしょう♪

DSC03593.jpg DSC03594.jpg

今年、この地方で行われている「御柱(おんばしら)祭」を見ると、
この時代の心が受け継がれているような気もします。

          あずさ堂小林       
  のホームページはこちら ←


テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
ブログランキング
ランキングはコチラ
  ↓   ↓
にほんブログ村 スイーツブログ 和菓子へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 長野県情報へ
にほんブログ村
信州のお菓子
FC2カウンター
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
天気予報

-天気予報コム- -FC2-