糸魚川の断層と塩の道(18)

 かつては、北前船が日本海沿岸沿いを行き来して、物資を輸送していました。

瀬戸内産の塩は、下関海峡から能登半島を回って越後まで送られ
さらに陸路で信濃にも運ばれました。


糸魚川から松本への道は松本街道あるいは千国街道と呼ばれました。
先日、糸魚川に行き、塩の道の出発点に立ちました▼
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糸魚川開発の基点ともいえる「天津・奴奈川神社」に寄りました▼
前回取り上げた、奴奈川姫も祀られています。
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神話の時代、大国主神がやってきて奴奈川姫と結婚し、能登で暮らしました。
その後、姫は越後に戻りました。
大国主神は出雲に帰り、大和朝廷に国譲りをします。

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息子の建御名方命は大和朝廷と戦い、破れて信州・諏訪へ逃亡‥
後に、諏訪の祭神になりました。

塩の道沿いを南下して、日本海を振り返りつつ丘陵地を登ります。
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途中にある長者ヶ原遺跡に寄りました▲
縄文時代中期~後期の史跡で、竪穴式住居が復元されています。
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最古のヒスイ加工遺跡で、ヒスイの原石が出土しています。
塩の道は、それ以前からヒスイが運ばれる「翡翠の道」でもあったのです。
遺跡の東側に建つ「フォッサマグナ・ミュージアム」にも寄りました▼
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フォッサマグナは日本列島中央部にあった「大きな溝」です。

数百万年前までは海の底にあり、その溝に新しい地層が堆積しました。
その後、沈んだプレートが上昇して、現在の日本列島になりました。
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フォッサマグナの西の淵は、糸魚川-静岡構造線と呼ばれます。

塩の道は構造線のうえを、松本から静岡へとつながっています。
帰り道、国道148号線沿いのフォッサマグナ・パークに行ってみました▼
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構造線の断層露頭があるとのことです!

日本列島を東と西に分ける境目になります。
「西側は四億年前の岩石」と書いてあります▼
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そして、東側は1,600万年前の岩石だそうです。
案内板によると、「ユーラシア・プレートと北アメリカ・プレートの境目」でも
あり、地球規模ではヨーロッパとアメリカの境目でもある」!!
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フォッサマグナパーク近くを流れる根知川から眺める、越後の山▲
「塩の道」と名付けられた米がありました▼
塩の道沿いを歩けば、あちこちに断層の地形を見ることができます▼
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塩の道の起点@糸魚川<塩の道(17)

 「塩の道・千国(ちくに)街道」をたどってきました。
今回は、街道の起点を訪ねました。
一方の起点である松本市から新潟県糸魚川市に向かい
ついに日本海に突き当りました▼

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糸魚川から信州・松本まで、日本海から塩や海産物が運ばれました。

縄文時代から、この道には歴史があります。
ここで採れたヒスイの玉が運ばれました。
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「古事記」の出雲神話には、「大国主(おおくにぬしの)神が高志(こしの)国の
沼河比売(ぬなかわひめ)に求婚しにやって来る」話があります。

海沿いの展望台の近くに、その奴奈川姫の像があります▼
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糸魚川地域を治めていた伝説上のお姫様☆

奴奈川姫の裾をつかんでいるのは、子供の建御名方神(たけみなかたにかみ)で、
諏訪大明神の祭神です。       展望台から信越国境の山が見えます▼
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展望台から海沿いを歩いて、塩の道の起点に着きました!
越後では「松本街道」と呼び、明治20年頃まで牛馬とボッカが荷を
運びました。
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歩いて行くと出発点の案内板があり、北前船の船員たち向けの
茶屋があったと書いてあります▼
北前船が沖合に停泊し、荷物を陸揚げしたようです。
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ボッカや牛方がワラジを脱がずに土間まで入って
囲炉裏にあたれる「ふんごみ茶屋」跡もあります。
交差点に「糸魚川町道路元標」という道標があります▼
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塩の道と旧加賀街道との分岐点で加賀街道沿いにも多くの問屋が並びました。
さらに先の西性寺境内に「牛つなぎ石」▼
重い荷物を運ぶ牛をつないだ石です。
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塩の道のこの通りは、現在「白馬通り」と呼ばれ、かつては塩問屋
が軒を連ねたとの事。
今も、作り酒屋があったり、かすかに古道の名残りがあります☆
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白馬通りから入ったところの経王寺には、新潟県で最古の梵鐘があります▼
南へ歩くと、大糸線の線路が見えてみます。
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さきほどの、展望台からまっすぐ行くと北陸新幹線「糸魚川駅」に
突き当ります▼
ここにも奴奈川姫の像がありました!
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姫が手に持つヒスイは、古代、長寿の呪力を秘めるとされました。
緑の硬玉から勾玉が作られ、各地に運ばれました。
糸魚川駅のビル内には、ヒスイの原石も置かれています。
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一旦、車を置いた日本海沿いに戻りました。
海の前には、諏訪社の鳥居があり、信州・諏訪まで塩の道によって
交流があったことが分かります。
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塩の道を歩くときは、だいたいコンビニ弁当で済ませてきましたが、
今回ばかりは、海の幸を食べようと、地元の食堂に入りました。
その、刺身と新潟の新米のおいしかったこと!

天神道を越えて<塩の道(16)

 古道の面影が残る、長野県小谷村の千国街道を歩きました。

今回は、国道148号線の「道の駅・小谷」からスタートして、
千国街道の中の「天神道」と呼ばれるコース!
11月中旬、紅葉が残る杉木の回廊を新潟県に向かって進みます▼
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「道の駅 小谷」の裏を通る道を進むと、「島温泉」があり
天神道入口の立て札が出ています。
「城の越-ねじかけ-湯原方面」▼「ゆっくり歩いて2時間」と書いてあります。
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信越国境付近の天神道越えコースは、かつての「塩の道」が残り
山腹の地形をめぐる、ゆるやかな上り下りが続きます。
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江戸時代、信濃の松本藩では、日本海からの塩の流入以外を禁じたため
糸魚川と松本を結ぶ、この千国街道は重要な「塩の道」でした。
李平(すももだいら)の集落が見えました▼
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峠道を登り切った頂上付近が「城の越」で、茶屋跡の標柱があり、
水場に清水が滴り落ちています▼
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城の越から少し登った所に「三峯様」という、円錐状の萱が3体たたずんでいます。
盗難、火災除けの神を祀る原初的な社で、中を覗くと平べったい石が置かれています。
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こういった日本の原風景や、里山の四季の移ろいを見たくて
塩の道を歩いています☆
城の越から先、古道は分かりにくい脇道へと入り、昔のままの道になります。
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松本から日本海へ向かう道中で、初めて越後の村が見える地点まで来ました!

足下を姫川が日本海に向かって流れ、色あせた紅葉の向こうに
明星山という富士山に似た形の山が見えました▼
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列車や自動車が無かった時代、重い物資を牛馬に積んだり、人が背負って
こんな道を行き来していたのかと思うと、のどかなような、大変な様な‥
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落ち葉を踏みしめながら斜面をトラバースして進みます。
豪雪地帯なので、雪がある12月後半から5月初めまでは
ボッカと呼ばれる者たちが、荷を運びました。

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道の先に、『信越の交流』砂山の石仏があります▼
かつて、このあたりにボッカや牛方が泊まる宿があったそうです。
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牛方は、牛に2俵(約90kg)づつ背負わせて、一人前になると6頭の牛を追って
この道を通ったとのこと。
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「ねじかけ」という標識の先を下っていくと、国道148号線が見えていきます。
ちょうど塩坂トンネルの上を歩いてきて、湯原という地点に出ました▼
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この先に見える湯原トンネルを抜けると、雪国の新潟です!
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白馬の千国街道<塩の道(15)

日本海と信州を結ぶ交易路だった千国街道の中でも
白馬村は、荘厳な白馬連峰を仰ぎ見る区間です。

塩の道と呼ばれる千国街道を歩いてきましたが、今回は
JR大糸線・白馬駅付近から松川橋を渡り、北へ向かいます。

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白馬高校の裏道を通って行くと、まだ雪の無い八方尾根スキー場が見えてきます▲
撮影した10月30日、まだ冠雪前の峰々を眺めつつ、松川橋を渡りました▼
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国道148号線沿いを北上して、白馬岩岳スキー場方面に行く道を歩きます▼

白馬村内の「塩の道」は、南から「白馬五竜」「八方尾根」「岩岳」と続く
スキー場のふもとを通って、小谷村へ向かいます。
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新田の集落に入っていくと、「庄屋まるはち」というカフェ・レストランがあります▼
豪商・横澤家の築160年の屋敷を改築した、歴史的古民家です☆
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生活用水路が流れる古道沿いを進むと、水車小屋があります。
この周辺は石仏・道祖神や薬師堂など、多くの史跡が残っています。
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道が何度も折れ曲がるため、古道をたどるのが難しく、3回挑戦して
ようやく経路がつながってきました。
首切り坂と呼ばれているらしい坂を登ります▼
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観音原石仏群があり、187体の石仏が内側を向いて、ぐるりと並んでいます▼
石仏群としては、塩の道随一の場所で、観音信仰の深さと広がりが解る聖地☆
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造立年代は、江戸末期で、西国・坂東・秩父の百体観音が揃っているそうです。
形も大きさもまちまちですが、おだやかな表情に癒されます。
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岩岳の麓を通る塩の道沿いには、現在、「塩の道温泉」があり
民宿やペンションが並んでいます▼
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その先で道が交差して、切久保庚申塚に突き当たります▼
庚申塚とは、集落に役病や魔物が入るのを防ぐもので、
これが村で一番古い塚とのこと。
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道なりに歩いて行くと▼切久保諏訪神社(霧降宮)があります。
「七道の面」「薙鎌」などの社宝を有しています。
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霧降宮の先で、一旦、県道433号線に出て、小さな渓谷に架かる
瀬田橋の手前で、古道に分け入っていきます。
橋の下の岩場に洞窟があるようで、「おかるの穴」という嫁姑の不仲に
まつわる話が残っています。

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『おかるという名の嫁が、霧降宮にある七道の面をかぶって、姑をおどしたが
顔から面が取れなくなって、洞穴に身を隠した』と伝えられる民話です。

「おかるの穴」の案内板から続く山道を登っていくと、石の道標があります▼
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「右ゑちご 左やま道」と刻まれた落倉道標です。
明治20年頃まで、人々は物資を背負い、牛や馬の背に荷を積んで
この道を行き来しました。
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塩の道は、今も生活道路として使われている道もあれば、
開発によって消えたり、迂回した道もあります。
白馬村の塩の道も、ほとんどが舗装された道路歩きですが
自然と歴史の道としての魅力が残っています。

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晩秋の塩の道歩きは快適で、落ち葉をサクサク踏みしめながら、
紅葉のトンネルをくぐって進みます。
視界が開けて、再び433号線に出たところに駐車スペースがあります▼
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県道の向かい側に「風切地蔵」が鎮座しています▼
このお地蔵さまは、大風や悪魔・病魔の風を断ち切る力があると
言い伝えられています。
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この先で小谷村に入り、栂池高原スキー場のふもとを歩く道になります。

信濃大町<塩の道(14)

台風が次々とやってきて、今年のシルバーウィークは、天候の優れない日が続きました。
塩の道「千国街道」を、途切れ途切れに歩いて1年になりますが、
お彼岸の頃、そぼ降る雨の大町市街を歩きました。

JR大糸線・信濃大町駅の北の踏切を渡り、五日町の角を博物館通りで左折▼
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荷継の宿場町として栄えた大町の塩問屋だった平林家を
博物館にした、「塩の道ちょうじや」という建物があります▼ 
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午後4時に、日本海の生魚を積んで糸魚川を出発し、翌日午後4時か、翌々日の
朝7時に大町まで届ける、「大急」という便がありました。

大急便は、大町で人夫を交替し、午後5時に出発して、翌朝7時に
松本に荷を届けました。
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塩魚は3~4日かけて大町に運ぶ便がありました。
塩などの保存のきく荷物は、糸魚川から5~6日かけて、大町にやってきました。
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明治時代に改築されたままの母屋は、高い天井の梁組が見事で
2階には塩の道に関する資料が展示されています。
写真撮影OKということなので、館内を撮りました。
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麻や塩の問屋で、味噌や醤油も作っていた商家の帳場が残っています▲
塩や荷物を運ぶ牛方・馬方や旅芸人、托鉢僧をはじめ庶民が歩く道でした。
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塩荷を店前で牛馬の背から下ろし、大八車に積み替えて、奥の塩蔵
まで運びました▼
その塩はほとんど粗塩で、湿気を吸って苦汁(にがり)の液が出ました。
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塩の入れ物は、俵や定型のカマスを使い、塩荷を積む場所には、「苦汁だめ」
の仕掛けが残っています。
味噌・醤油、さらに漬物を作っていた当時の、漬物蔵もあります▼
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館内では各種企画展が開催され、現在、華道家・假屋崎省吾さんの花が展示されています!
「ボッカ(歩荷)の衣装を着てみよう」、というコーナーもありました▼
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戦国時代、上杉謙信と武田信玄が川中島で戦っていたころ、山国信濃は塩の流入を
止められ苦しんでいました。
これを知った謙信は、「戦いは弓矢でするもの」と言って塩を送りました。

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新年、大町に塩が届いた時、盛大に塩市を開いたと伝えられます。

塩はやがて飴に変わり、市神様が祭られ▲縁起物やだるま、福飴などが売られます☆
塩の道ちょうじやを後にして、国道147号線沿いの大町アーケードを歩きます。
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大町は、女子バドミントン選手・奥原希望(のぞみ)選手の出身地で、あちこちに▲
「リオ・オリンピック銅メダルおめでとう」というポスターが貼られていました。

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大町には湧水があり、商店街の西側は、「男清水(おとこみず)」▲
東側は「女清水」が、町を潤しています。
九日町の町屋風景▼
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道が分かれる「大黒町追分」に庚申塔があり、「右 善光寺道」と刻まれています▲

その先に、江戸時代末期に建立された大黒天の石像があります。
大黒天と並んでシダレ桜があり、こちらは今年4月17日に撮った写真▼
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