塩嶺御野立公園de中山道ウォーキング
中山道は江戸時代、東京~京都間を結んだ街道の一つです。
信濃路の諏訪盆地と松本盆地の間を、塩尻(塩嶺)峠が隔てています。
峠付近には、現在「塩嶺御野立(えんれい おのだち)公園」があります。
こちらは▼旧中山道にある「茶屋本陣」で、大名や旅人の小休所。
「皇女和宮も休憩された」と書いてあります。
幕末、江戸と京都の間で「公武合体」策として政略結婚が行われました。
皇女は徳川家に嫁ぐため、この街道を通って江戸城に向かったのです。
こちらは▼御野立公園にある展望台から見下ろした諏訪盆地(11月8日撮影)☆
皇女和宮には許嫁がいたのに、時代に翻弄される運命を受け入れました‥
道中、こんな一首を詠んだそうです。
「落ちて行く 身を知りながら 紅葉ばの 人なつかしく こがれこそすれ」
折しも紅葉の季節、公園の方へ下って行く途中、何かの撮影現場に遭遇▼
時代映画のロケなのか、旅装束の娘さんが歩いてくるシーンを撮影中!
何テークも撮り直したり、場所を変えたりして、なかなか終わりそうもなく、
邪魔をしてはいけないと思い、公園の先に行くのを止めて帰りました。
それで、前回紹介した「箕輪ダム湖」の写真の続きです▼
ダム上流の川沿いを登って行くと、紅葉の乱反射するような色に目が止まりました。
近寄って見ると、それぞれの枝が、冷気の当たる外側から赤くなって
先端は縮れるように震えていますが、内側は緑を残しています▼
紅葉が自然法爾のグラデーション☆
信濃路の諏訪盆地と松本盆地の間を、塩尻(塩嶺)峠が隔てています。
峠付近には、現在「塩嶺御野立(えんれい おのだち)公園」があります。
こちらは▼旧中山道にある「茶屋本陣」で、大名や旅人の小休所。
「皇女和宮も休憩された」と書いてあります。
幕末、江戸と京都の間で「公武合体」策として政略結婚が行われました。
皇女は徳川家に嫁ぐため、この街道を通って江戸城に向かったのです。
こちらは▼御野立公園にある展望台から見下ろした諏訪盆地(11月8日撮影)☆
皇女和宮には許嫁がいたのに、時代に翻弄される運命を受け入れました‥
道中、こんな一首を詠んだそうです。
「落ちて行く 身を知りながら 紅葉ばの 人なつかしく こがれこそすれ」
折しも紅葉の季節、公園の方へ下って行く途中、何かの撮影現場に遭遇▼
時代映画のロケなのか、旅装束の娘さんが歩いてくるシーンを撮影中!
何テークも撮り直したり、場所を変えたりして、なかなか終わりそうもなく、
邪魔をしてはいけないと思い、公園の先に行くのを止めて帰りました。
それで、前回紹介した「箕輪ダム湖」の写真の続きです▼
ダム上流の川沿いを登って行くと、紅葉の乱反射するような色に目が止まりました。
近寄って見ると、それぞれの枝が、冷気の当たる外側から赤くなって
先端は縮れるように震えていますが、内側は緑を残しています▼
紅葉が自然法爾のグラデーション☆
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