養老坂と加助騒動<塩の道(17)

江戸時代、信州・松本平の住民は、生活に欠かせない塩や海産物を
日本海側から、千国街道経由で購入していました。

千国街道を行き来した庶者には
悲喜こもごもの人間ドラマがあった事でしょう。

江戸時代、加助騒動を起こして処刑された、多田加助もこの道を
通って安曇野から松本へ向かいました。

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千国街道は、安曇野から「熊倉の渡し」で舟に乗って犀川を渡り
養老坂を越えて松本に入る道筋でした。
熊倉の渡しから、現在の国道19号線沿いを南に進み
「泣坂」を登って行きます。

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JR篠ノ井線の踏切手前に「多田加助夫婦惜別の岩」があります▲
近くには道祖神がたたずみ▼10月桜が咲いていました。
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貞享3年(1686年)11月16日、加助一族が騒動のかどで捕えられ、
加助と弟、12歳、3歳になる子供らが役人に引かれ、入牢に向かう
道すがら、妻お民との別れを、惜しんだ岩と伝えらています。

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泣き坂を登りきると、松本トンネルへと続く国道に出ます。

ここから先の旧道は消滅していますが、歩いて行けそうな
それらしき藪の中を登ると、アルプス公園に向かう道になります▲
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北アルプスが広がる大パノラマで、筑摩・安曇野が一望できます▲

貞享3年、松本藩では、年貢を納める際の籾(もみ)一俵を今までの3斗入れから
3斗5升入れに増徴するなどの厳しい命令がありました。
藩の年貢担当者が、村々を巡回するうち、安曇郡の中萱村の前庄屋・加助
が抗議をして、訴訟になりました。

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松本平を展望する東屋のあたりに、養老坂の道標があります。

人や牛馬が踏みしめて、堀のようになった「ウトウ」と呼ばれる道が
ゆるやかなカーブを描く養老坂▼
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養老坂を登り切ると、松本市民にはお馴染みであるアルプス公園の
北端に出ます▼
老根田という縄文時代の遺跡が残る一帯を歩いていきます▼
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加助らは、抜き差しならない事態に、一揆の力で出訴する事を決意。
一揆勢は、郡奉行に5か条の訴状を提出しました。
1万とも伝えられる百姓が、松本城を取り巻くように群衆したのです。

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松本藩主・水野忠直は参勤交代のため不在で、城代家老は
百姓側からの訴訟内容をおおかた認めた回答書を手渡しました。
一方、江戸藩邸とも連絡を取って、藩主の裁可を得て年貢減免の
約束を反故にし、首謀者の逮捕を始めました。
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一般道に出た後、リンゴの果樹園を横切り▲こんどは急な坂を
下っていくと、松本盆地東側の山が見えてきます▼
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騒動の首謀者と、その兄弟・子供が、ことごとく磔(8名)または
獄門(20名)という厳罰になりました。
加助の参謀格だった善兵衛の16歳になる娘おしゅんも
処刑されました。

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近くにある海福寺に立ち寄りました▲
海福寺近くの平地は、戦国時代、越後の上杉謙信から武田信玄領だった
松本へ送られた義塩を一時、駐留させたところと言われます。
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下った所にある塩倉池▲の名前も、それに由来します。
千国街道沿いの町で、正月から2月にかけての風物詩「飴市」も
塩の初市が、飴も売るお祭りになっていったといわれます☆

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