安曇野の八面大王

江戸時代、松本藩が編纂した地誌「信府統記」に、
八面大王の伝説が記されています。

昔、中房山に魏石鬼(ぎしき)という名の鬼賊がいた。
八面大王
を称し、永年人びとを困らせていた。
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延暦24年(805年)、坂上田村麻呂が、泉小太郎が住んでいた「川合」▲で
軍兵を揃え、翌年、魏石鬼を退治した。

 
文中にある川合の「川會神社」に行ってみました▼
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川合からは、魏石鬼の宮城があったという「有明山」が一望できます▼

坂上田村麻呂は、魏石鬼の復活を怖れて、体や剣をバラバラにし、
耳は耳塚、首は筑摩神社(松本市)に埋めさせました。
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魏石鬼の耳を葬ったという、耳塚を探しました。
穂高町有明の大塚神社にあると分かり、スマホのナビで突き止めました。
行ってみると、田んぼの中にポツンと鳥居があります▼
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穂高町にある古墳の一つという説があります。

さらに、魏石鬼の剣が埋められたという満願寺に行きました▼
坂上田村麻呂が、魏石鬼を退治するために、満願寺の
十一面観音に祈願したという伝承が残っています。

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この辺りの古墳は、安曇野を開拓した安曇氏が葬られた
と考えられます。
ということは、八面大王のモデルは「安曇族のリーダー」という
仮説が立てられます!

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調べてみると、安曇郡に「魏磯(たかいそ)」という名の郡司が
いたとされ、別名「魏石鬼」と似ています。
坂上田村麻呂に「鬼退治」を命じた桓武天皇は、母方が百済系渡来人で、
地元の豪族を退け、百済系を重用したのです。

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満願寺への道は険しく、人の足跡よりも、サルの足跡の方が多い所で
途中から歩いて向かいました。

有明山の麓、穂高温泉郷にある「八面大王の足湯」にも寄りました▼
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桓武天皇は蝦夷征討のために、安曇郡の兵を出させて
陸奥へ行かせる命令を出しています。

それに、反発した安曇族の群司を懲罰するため、田村麻呂自らが
兵を率いたという説があります。

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そういえば以前、燕岳を登る途中の中房に「合戦小屋」があって、
八面大王の民話を伝えていました。
合戦小屋辺りで、安曇族のリーダーは、征夷大将軍に敗れ、
鬼のレッテルを張られたというのが真相なのでしょうか?
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