巴淵の紅葉<巴御前

信州・木曽町の宮ノ越という、旧中山道の宿場町へ行きました。

平安時代末期に、「旭将軍木曽義仲」が平家討伐の旗揚げをした里で、
町村合併する前は、義仲にちなんで「日義」という村でした。

国道19号線から「宮ノ越宿」の標識を西へ向かうと、「巴が淵」に出ます▼
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木曽川に「巴橋」が架かっていて、下が淵になっています。

案内文によると「この淵は巴状にうずまき、巴淵と名付けられました。
また、この淵に住む龍神が巴御前にに化身して、木曽義仲の
生涯を守り続けたという伝説に由来します
」。
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木曽川は落ち葉を浮かべつつ流れ、巴淵で渦巻いています。

巴御前は義仲の義父である中原氏の娘で、義仲が駒王丸と呼ばれた
幼少の頃から一緒に育ち、この淵で水浴びをしたという伝承が残っています。


木曽川の上に線路が架かっていて、ちょうど電車がやって来ました!
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紅葉に向かって突っ込んで行くような、鉄道マニア向きの一枚▲
巴御前は義仲の妾で、「平家物語」に「色白く髪の長く、容顔まことに優れたり」
と書かれています。
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その上、荒馬を巧みに乗りこなし、弓を引かせても男たちに引けを取らず
派手な鎧を着た武将だったといわれます。

義仲の元に、以仁王より平家追討の令旨がもたらされ挙兵します。
山吹山のふもとを流れゆく木曽川▼
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信濃・上野(こうづけ)・北陸道の豪族を従え、平家との戦いに勝ちます。

平家一門を都落ちさせ、日の出の勢いで上洛し「旭将軍」と呼ばれました。
川を下った所に、義仲の菩提寺である「徳音寺」があります▼
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義仲軍は都で兵糧の補給ができず、都の貴族たちは粗暴なふるまいを
馬鹿にするようになります。

後白河法皇は義仲を都から遠ざけようとし、義仲討伐を呼びかけました。
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鎌倉から源頼朝が派兵した源義経・範頼の義仲討伐軍が京にせまります。
義仲は京を逃れ、琵琶湖畔にたどり着き、宇治川の戦いで大敗‥

大津でも敗れ、生き残った義仲軍は五騎で、その中に木曽から付き随って
きた巴御前がいました。
徳音寺境内にある「娘時代の巴御前」像▼

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義仲は巴に「お前を殺したくないから逃げなさい」と言うも
巴は「いやです。最後までお供いたします!」
「わしの分まで生き抜いてくれ。さらばじゃ」と、義仲は近江国・粟津で最期を迎えます。
義仲を祀る霊廟▼                    義仲像▼
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巴は義仲の愛情を信じ、東へ馬を走らせました‥ 

霊廟の右手奥には、義仲と巴の墓があります▼
剣と愛に生きた巴御前は、今でも舞台などに取り上げられます☆
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