あゝ野麦峠を歩く

古くから信州と飛騨を結んだ野麦峠を歩きました。

野麦峠というと、女工哀史のイメージがあります。
山本茂実氏のルポルタージュ「あゝ野麦峠」が1968年に出版され、
1979年には映画化もされて、多くの人に知られるようになりました。


信州・松本側から国道158号線を上高地方面へ向かい、途中
奈川村方面に左折、古道が残る「わさび沢」まで車で行きました▼
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わさび沢の入り口に、「あゝ野麦峠」の一節が刻まれた石碑があります▲
ここから峠の頂上まで、江戸~明治時代の街道風景が残っています。
かつて、この峠道を歩いて、飛騨から多くの工女たちが諏訪方面の
製糸工場へ向かいました。

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野麦峠について興味を持ち、資料をさがしていると
「『あゝ野麦峠』と山本茂実」」という本を見つけ、読んでみました。
作家・山本茂実の波乱の生涯を妻がつづった評伝です!
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山本茂実は松本市並柳の農家にに生まれました。
軍国時代の世になり、中国南方戦線に出征したものの
肺結核になり、長期の療養生活を送ります。

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戦況が悪化する中、弟が戦死し、妹も20歳で病死。
敗戦から2年後、29歳の山本は上京して早稲田大学の聴講生になります。
在学中に、自費出版で「生き抜く悩み」という本を世に出しました。

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本は大いに売れて、その資金を元に雑誌「葦(あし)」を刊行。
雑誌の編集員に女性と結婚することになり、その女性がこの評伝の著者です。

会社組織にして軌道に乗ったものの、週刊誌に事実無根のスキャンダル記事を
書かれ、結局「葦」は廃刊になってしまいました。

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クマザサが生い茂る険しい坂を登りきると、「野麦峠の館・資料館」があります。
駐車場の前に、「お助け小屋」が復元されていました▲
資料館の前に池があり、その向こうには乗鞍岳▼
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フリーライターになった山本は、週刊誌などにドキュメンタリーを
書くようになりました。

そして子供の頃、祖母から聞いた「野麦峠」の話を思い出し、
取材を始めました☆
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「野麦峠を越えた明治百年」という作品に書いて、雑誌「文藝春秋」が掲載!

ところが、その内容が「盗作ではないか」と訴えられ、
記事が朝日新聞にも大きく出て信用失墜‥
岐阜県の野麦集落を目指して、さらに古道を進みました▼
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朝日新聞を告訴し、示談として「野麦峠の単行本を朝日新聞社から
出版すること」などが決定!
それがベストセラー誕生の秘話として書かれています。
登りきった場所に、「あゝ野麦峠」の工女「政井みね」の碑が建っています▼
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山本の妻は「あゝ野麦峠」は、山本の自叙伝のようだと記しています。
・「工女みね」と同じように妹を20歳で亡くし、悔恨の念を持っていた。
・工女が「雪の峠越え」をしたように、兵隊として行軍した。
・山本は製糸経営者のみじめな気持も経験した。

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クマが出そうだったので引き返し、野麦峠をくだりました‥
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