奈良井宿から鳥居峠越え

 江戸時代、五街道の一つとして整備された中山道。
長野県内には旧道の面影が、ところどころに残っています。

風薫る5月、中山道・奈良井宿から鳥居峠を歩きました!
宿場町を南へ通り抜けると、鳥居峠の上りが始まります▼
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現在、奈良井宿と薮原宿の間は、国道19号線がありますが
江戸時代は、この峠を通るしかなかったようです。
国道はトンネルを通っていて、そのおかげもあって、原形を
とどめたまま峠道が残っています▼
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石畳は花崗岩を埋め込んで復元したもの▲
分水嶺の峠でもあり、峠の北側の水は日本海に向かい
南側は木曽川になって太平洋へと流れます。

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黄色いヤマブキや、可憐な山野草が咲く間を登っていきました。
登りきると「峰の茶屋跡」の小屋があり▼湧水が流れています▼
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崖沿いの道を歩いて行くと、谷に向かって何本か栃(とち)の古木が
並んでいます▼
「天然記念物のトチノキ群」で、「子産みの栃」の伝説があります。
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この栃の洞の中に捨て子がいて、子宝に恵まれない村人が
引き取って育てたところ、孝養を尽くし、一家繁盛したという伝承です!
この栃の実を煎じて飲めば子宝に恵まれるという言い伝えがあります☆
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さらに南へと進むと、御嶽神社・芭蕉句碑などの石碑があり▲
木曽義仲硯水などのスポットがあります。
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松尾芭蕉以外にも、鳥居峠を書いた文人は多く、菊池寛の
「恩讐の彼方へ」にも出てきます。
ここから先は、藪原への下り坂になります。
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石畳の両脇に、ニリンソウの花が群生して咲いていました。
清浄な水の近くに咲く、可憐な白い花を愛でながら
新緑の萌えるような緑の下を歩きました♪
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奈良井宿に戻り、振り返ると鳥居峠の緑が見えました▼
旅人にとって心から休息できる宿だったことでしょう‥
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臥竜公園の桜

ゴールデンウィークも終わり、 新緑の季節になりました。

連休前に、信州・須坂に行き、臥竜公園の桜を見てきました。
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臥竜公園は桜の名所ですが、これまで桜のタイミングを逃してきました。
今年、ようやく取り上げます!
公園の入り口から、桜のトンネル▼
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前日まで、出店が出て賑わったようです!
2017年の桜は、咲くのが遅く、咲いた後も低温が続いたため
4月24日の時点でも、桜が楽しめました☆
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公園にある池の周りを一周しながら、桜の観賞☆
晴天だったので、桜の向こうに北信五岳を眺めることができました▼
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江戸時代に、須坂の町は大笹街道・谷街道などの宿場町として栄えました。

その後も須坂は、昭和初頭まで製糸業と共に発展!
ところが、世界恐慌によって生糸相場は大暴落‥
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工場で働いていた人々の失業対策も兼ねて、この公園が築造されたとのことです。

竜が臥せたような臥竜山を背景に、一周800mの竜ヶ池に
ソメイヨシノなどが植えられています▼

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竜ヶ池には、商売繁盛を願って弁財天が祀られています▲
弁財天から赤い橋が架かっていて、写真映えします☆
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公園に隣接して須坂市動物園があります。
展示などに趣向を凝らした動物園で、おすすめです!
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臥竜公園から西へ歩き、旧街道沿いを歩きました。
豪商の館・田中本家の前を通って南へ進み、蔵の町なみを見て帰りました!
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海野宿<北国街道

中山道は、江戸日本橋から山岳地帯を進んで、京都まで続く街道でした。

途中の追分宿から分かれて、善光寺を通り新潟県高田までを結ぶ
北国往還と呼ばれる街道もありました。

その北国街道の宿場町だった上田市は、昨年の大河ドラマ「真田丸」 の
効果で、多くの観光客が訪れました。
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北国街道に沿うように流れる千曲川の桜が満開でした▲

上田の手前にある海野宿には、江戸時代の宿場町の面影が残ります☆
「日本の道百選」に選定された、海野宿を歩きました▼
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いつも上田に行く途中、通り過ぎてしまって、今回初めて取り上げます!

この地で、古代から栄えた海野宗家は、武田氏の侵攻で絶えてしまい、
その名跡を「真田丸」の真田氏が継承したのです。

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この街道は大名の参勤交代、佐渡金山の輸送、善光寺参拝の
善光寺街道として賑わいました。
海野宿・本陣跡の長屋門▼
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加賀前田藩や越後高田藩などが、この本陣を利用したそうです。

宿場時代の建物の多くは旅籠屋(はたごや)造りで、
出格子(こうし)が、今もよく残されています▼
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「うだつが上がる」という言葉の語源となった「卯建」が見られます▼

1階の屋根の上に、張り出して付けた袖壁です。
富の蓄積や、家格の高さを示す意味もあったようです。
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せっかくなので、海野宿資料館▼にも入ってみました。
1790年頃建てられた旅籠の建物で、往時をしのぶ資料が保管されています。
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明治時代になって、宿場制度がなくなると、蚕の卵を商品とする
蚕種製造が主力産業となりました。

千曲川の風通しの良さが、健康な蚕の産地に適していたのです。
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資料館に入ると、土蔵や物置に蚕業に使われた道具や農機具が
残され、養蚕農家の様子がわかります。              
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養蚕業によって海野宿は潤い、立派な蚕室や鯱瓦のうだつを
のせる屋敷が軒を連ねるようになったのです。
蚕で「うだつがあがった」わけです!
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伝統的建物以外にも、なつかしの玩具展示館や、蕎麦屋、雑貨店
などもあって、楽しめます☆
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デーラボッチが作った山

信州に伝わる巨人伝説の伝承地に行っては、写真を撮ってきました。

巨人の呼び名は様々で、ジブリのアニメ「もののけ姫」では
デイダラボッチという名でした。
他にも、ダイラボッチ・ダイダラ法師・デーラボッチャ等々‥

ここではデーラボッチという名前で、伝説を紹介します。
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安曇野市三郷の室山(むろやま)頂上には、デーラボッチの展望台があります▲

‥昔々、デーラボッチという大男が、松本の東の山に住んでおりました。
土を背負子にかついで、山を作ったり、ならしたりしていました。

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展望台から眺める東山▲ 

ある日、東山の神様から、「西山から土を運んできて
山を高くしてくれ」と頼まれました。

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デーラボッチは西山の神様が寝ている夜の間、
西山を削っては、何度も運びました。
途中で、夜が明けてしまい、あわてて落とした土が、室山になったとさ▼

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緑色した室山の上には、ファインビュー室山という宿泊施設があります☆

安曇野市三郷から南に行くと、梓川が流れています。
松本市梓川地区の岩岡には、デーラボッチの火打ち石があります▼
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大きな火打石なので、昔の人は、デーラボッチが使ったと想像したのでしょう。

地球上に恐竜がいた頃の、原生動物の死骸が海底に積ってできた
チャートという岩盤の頭が突き出たもののようです。

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横を流れる梓川沿いは、桜の名所で、昨年4月21日の様子▲

梓川から、さらに南の朝日村にもデーラボッチの民話が残っています。
芦之久保という池は、デーラボッチの足跡と言われます。
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朝日村の西にある鉢盛山は、デーラボッチが作った最後の山で
鉢盛山で暮らしたという昔話も残っています。
2016年4月29日撮影▼
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松本に戻って、アルプス公園にもデーラボッチの足跡があります▼
2017年4月10日、桜はまだツボミのアルプス公園に行きました。
左上の「山と自然の博物館」には、デーラボッチのキャラクターがあります☆
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アルプス公園からは、標高の高い西山が一望できます▼

昔の人は、なだらかな東山と見比べて、どうやって大地ができたのか
思いめぐらしたのが、デーラボッチの民話になったのでしょう。
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断層などの地形ができた経緯は、最新の地質学によって
科学的に説明できます。
それでも、大自然を前にすると、地球のエネルギーに圧倒されます。
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岩村田宿を歩いて

今まで今まで行ったことのなかった町も歩いてみようと
旧中山道(なかせんどう)ウォーキングをしました。

江戸時代、中山道は江戸・日本橋から武州、上州、信濃
美濃、近江を経て京都・三条大橋までを結ぶ幹線道路でした。

今回は江戸から22番目の宿場があった信州・岩村田宿を歩きました!
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まず、京都の文化が垣間見られる鼻顔稲荷(はなづらいなり)神社
に立ち寄りました▲
伏見神社から勧進され、清水寺の舞台を思わせる懸崖造りの
本殿が、湯川の岸に建っています。
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参道には伏見神社ほどの数ではないものの、朱色の鳥居が並んでいます▲
一応、日本5大稲荷の一つだそうです☆
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本殿の右手に「御姿殿」があって、巻物をくわえたキツネがお出迎え▲
合格祈願の絵馬や、千羽鶴がかかっていました。
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岩村田は佐久地方の城下町として栄え、古くから酒造りが行われてきました。
佐久地方13件の蔵元の地酒が奉納されています▲
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神社一帯は鼻顔公園になっていて、遊具もあります▲
公園の北には、浅間山が間近に開けています☆

湯川に架かる紅い橋を渡って、西へ歩いて行くと旧中山道に突き当たります。
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かつての宿場町は、南北に伸びる岩村田商店街となっています▲

佐久甲州街道分去れの碑が残り、他にも善光寺道、下仁田街道が
分岐する交通の要所でした。

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商店街から西へ入った所に、旧岩村田藩主の菩提寺だった西念寺があります▲

商店街は、昭和レトロの雰囲気が残り、「いわんだゴールデン街」と
いう横丁があります。
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岩村田駅の隣に、北陸新幹線が乗り入れる「佐久平駅」ができて
商店街の客足が減ってしまったようです。

次に、武田信玄が中興開山したという龍雲寺に寄りました▼
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北信濃や西上州進出の拠点とした寺です。
信玄の遺骨が発掘されたとのことで、奥に信玄廟があります▼
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イオンモールや大型チェーン店が続々と建つ佐久平駅に、賑わいは奪われたものの
岩村田には文化が残り、特に佐久長聖高校など、学問のおひざ元です☆

龍雲寺から東へ歩いて、王城公園に行きました▼
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周囲からも目立つケヤキの巨木を拝んで、岩村田を後にしました‥
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